夢のような1日

アイドルを好きになって「夢のような1日」ってこういうことかと知りました。ツイッターやってます→@yareba_owaru

好きな人の成人式を見守ることになったという話

King & Prince  

12枚目のシングル

Life goes on / We are young 

ミリオンおめでとうございます✨

2作連続でミリオンセラーのお知らせを届けられたことはもちろんとても誇らしくてうれしい。

ただ、それ以上にわたしはカップリングを含む7曲もの新しいKing & Princeの音楽を聴けたことが本当にうれしいです。毎日毎日、大切に聴いています。

 

歌詞カードとにらめっこしてみたり、歌番組の生放送に感情が乱高下したり、雑誌のインタビューの言葉を何度も何度も反芻したり、そんな日々を送っています。

 

ポジティブになる時もあれば、勝手にどん底まで落ち込む時もあり、さまざまな気持ちや思いが浮かんでは消え、ふとした時に所かまわず涙があふれてきて焦ります。

その度、わたしの生活に、もっと言えば人生に、ここまでKing & Princeが深く根差してわたしを支えてくれていたことを何度でも感じます。

 

こんなにも毎日、誰かのことを思うのも、誰かを思って涙にくれるのも、たった一人の姉を亡くしたとき以来です。

あの時も、どうしてこんなに悲しいのに朝がきたら普通の顔をして1日を始めなきゃいけないんだろう、ずっと膝を抱えて泣いていたいのに、どうして当たり前のように仕事に行かなきゃいけないんだろう、誰もわかってくれない、わかってくれるたった一人の人は私を置いていってしまった…ずーっとそうやって泣いていました。

仕事から家に帰る道は暗くて人通りもなくて、毎日毎日泣きながら歩いていたのを思い出します。

「お姉ちゃんさえ生きていてくれたら」

15年以上の時が経っても、今もふとその思いにたどりついてしまって、立ち尽くしてしまいます。その都度思い浮かぶ気持ちは「ただただ無念」それにつきます。

 

「ほんとうに、生きていてくれさえすればよかったのに。神様、わたしはそんなに贅沢を言っているでしょうか?それとも、大切で失いたくないものには、全部ラベルでも貼り付けて印をしておかないといけないのでしょうか?そうしないと、奪われてしまってもわたしの責任なのでしょうか?大切なものを大切にしきれていなかったとあなたは思ったのでしょうか?」

そんな風に、姉の件ではずいぶんと神様に文句を言った気がします。

(大丈夫、昔も今もわたしは無宗教です)

 

そしていま。

愛するKing & Princeをもうすぐ失うことに対して抱く思いも、これにとてもよく似ていると思い返しています。

 

(…深いため息…)

 

そんな中、迎えた12枚目のシングルのリリース。

いつものようにうれしいだけではない、「これで最後」を覚悟して受け取る新譜。どんな気持ちで受け取ればいいのか、ぐちゃぐちゃに整理がつかないまま、泣き笑いのような心持ちで迎えたリリースでした。

 

対して、King & Princeから伝えられるメッセージはいつも通り、どこまでもファンに寄り添い抜いたものでした。

King & Princeから届けられるものはいつだってあたたかくて優しい、そして明るくて美しい。

ぜんぶ大事に受けとりました。

どんな風に受け取ったのか、以下に残しておきたいと思います。

 

人生はまちがうこともある まちがってもいい

We are youngの2番の歌詞。

YouTubeやテレビでは知ることができないその部分で、どんなことを歌っているんだろうと発売前から気になっていました。

いざCDを手にとって、聞いてみたら

「We are wrong 」

と繰り返されていて。

この歌詞を今の状況でどう受け取るかは、きっと人それぞれでしょう。

「人生は間違うものだし、それで全てがおしまいになることはない。何より、間違ったっていい。何度でも、またそこから始めればいい。」

わたしにはそういう風に伝わりました。

 

「We are young」の主語は、King & Princeの5人のことだけではなくて、わたしを含めるすべての人。この曲を聴くわたしたちみんなにとって、今日よりも若い日はこないから。

そういう意味で、「We are young」だったんだなぁと。

 

自分次第で、何度だって何歳からだってスタートラインを切ることはできるよ、と背中を押してくれる曲でした。

同時に、やっぱり「wrong」に込められた思いもあるんだろうなぁと。

いま置かれている現実が5人にとって目指してきた場所ではなかったこと、最善の選択の結果ではないことも感じとれてしまって。

この曲を歌いながら、5人で励まし合うように向き合う姿には、胸が苦しくなりました。

 

うつむかないで顔あげて

とはいえ、シングル全体から伝えられるメッセージはいつもどおり「ティアラを笑顔にしたい」というものだったと思います。

これまではそれぞれのファンが生きるそれぞれ人生の困難に寄り添って、そばにいるよ、一緒に幸せになろうって歌ってくれたKing & Prince。

ファンの顔を曇らせる理由が、よりによって自分たち自身になってしまったことはきっと不本意で、なにより悲しいことと感じているのではないでしょうか。それでもやっぱり。これが5人で出す最後のシングルになるとしても。

 

「ティアラを笑顔にしたい。笑っていてほしい。」

 

その思いは伝わっています。ありがとう。涙

 

すぎてく季節を鮮明なものにしてくれてありがとう

Dear Tiara盤の収録カップリング曲「愛を伝えましょう」は、前作に続いて明るいアイドルソングでした。

そのことに「King & Princeはアイドル」という揺るぎない矜持を感じたし、ジャニーズのアイドルであることに誇りを持っているKing & Princeがやっぱり大好きです。

 

そしてその曲の最後に伝えてくれた「ありがとう」の理由。

文字どおり青春のぜんぶを賭けて駆け抜けたアイドル人生だったはず。そして、今はそれぞれが分岐点に立たされていて。

それに対して「人生の思い出って過ぎてしまえばどんなものもすべて美しいけど、アイドルとして生きたおかげで、この曲を聴いてくれているファンのみんなの存在のおかげで、特に色濃く鮮明な思い出ができたよ、ありがとう。」

そう言ってくれた。(と思った)

 

えーーんもうだめ、ありがとうはこっちの台詞なんだってば…(涙)

アイドルでいてくれて、今のこの状況にあってもなお、こんな風に幸せだよって言ってくれて、アイドルってほんとにすごい…

人生は間違うものだけれど、間違ったっていいんだけども、King & Princeの歩いてきた道は、なにも間違ってなんかいなかったよ。

ずっとずっと、きっと5人で並ぶ最後の瞬間まで、史上最強の完璧な王道アイドルです。誇りに思う。

 

そして、「新たな成人式」へ

3人が「King & Princeを脱退する」という発表については、「脱退」という言葉とわたしの知っているズッコケトリオの組み合わせがどうにも悪すぎるという気持ちがまずあって。

脱退って、する方が無責任で自分本位で、残される組織の方が正しくて迷惑かけられる感じの言いまわしに思えてしまって。

そういうことは絶対しない日本代表くらいの3人だと思っていて。だからずっと脱退組とか言われるのがモヤモヤしてモヤモヤして。

女子ドルグループみたいに「卒業」とかがいいのかなぁとか、いっそ「さよならバイバイズッ友フォーエバー」くらいの表現にしてくれないかなとか、ひとりで悶々としていたのですが。

 

ここにきてやっぱりわたしの好きな人、ワードセンスが天才的で。

平野紫耀さんがこれからの人生について

「新たな成人式のつもりでいろいろ考えたい」

って答えてるインタビューを見て

「それだよ!まさに、それだ!!!」

となったという話です。

 

この方、ファーストコンサートのメイキングで、コンサートに来てくれるファンに対する気持ちを「運動会に近い!」と表現した天才なんですが。

(ファンは身近な身内という感覚、応援しに来てくれるファンには良いところを見せたい→運動会に近い💡)

それ以来、身内の運動会を観に行くような気持ちでKing & Princeには接してきました。(素直)

なにより本人が望むファンとの関係性がそこにあるんだと思ったし、それに共感できたし、アイドルに対するファンの適切なスタンスだと思ったから。

 

そして、今度はわたし、好きなアイドル(成人ずみ)の「成人式」を見守ることになりそうです。

 

20歳の時に「もう二十歳じゃん」と思ってジャニーさんにデビューの直談判をしたひらのさん。

お母さんのことや長男気質もあって、成人することや自立に対する思いは人一倍強い人。

しょっちゅう仕事の関係者を「大人」と呼んで、負けじと戦ってきた人。

きっと彼にとっての成人=大人ではなくて。

 

いつまでも子供の心を忘れたくないと話すところからも、「大人」はひらのさんにとって川の対岸の領域、渡りたくない場所なんじゃないだろうかと思っていました。

だけど、ついに今後は「新たな成人式」を迎えるような気持ちなのだという。つまりは自分も大人の側に行くつもり、ということなんだよね?

 

ひらのさんのなりたい「大人」は、自分のやることなすことを自分の責任で決める人、そして自分のしたことの責任もまた、全部自分でとる人。その前提の上に、心底自分の人生を楽しんで、人を幸せにしたいということなんだと思います。

 

ジャニーズ事務所では、アイドルが「大人たち」と対等でいられないのは当然なのかもしれない。

ジャニーズJr.として、何者でもない少年が育てられ、アイドルとしてのいろはを教わり、芸能界にデビューさせてもらったという大恩まである。

 

King & Princeという名前やメンバーも、父のような恩師にいわば用意してもらったもの。

 

何より大切にしてきたその場所を離れることについて「新たな成人式」と表現するこの人はやっぱり強くて、自分の人生を自分の力で幸せに生きられる人だと確信しました。

 

これまで運動会を見に行ってた頃は、学校に馴染めてるのかなとか誰と仲いいのかなとか、うまくやっていけるのかしらとか、そういう気持ちがどうしてもあったと思います。(比喩の話です。)

そして今回の節目が「卒業式」となれば、やっぱりまだまだ進路が気になって口出ししたくなってしまうところでした。どこか「いいところ」に行ってほしいと思ってしまうもの。

 

一方、「成人式」を迎える相手に対しては驚くほど干渉する気持ちって湧いてこないものです。

「成人式終わったけど、貴方これからどうするつもりなの?」と言う人って、多分あんまり…いないでしょう?(いるかもしんないね)

 

成人式って、式自体はなんだかとても中途半端な時期で、自立して子どももいるって人もいれば、まだまだ学生で親のすねかじってる人もいる。そんなまぜこぜの集団を年齢でひとまず区切って集めて、内容はよく覚えてないという不思議な式典です。(そんなことなかったらごめん)

式自体には意味はそこまでないものの、成人することの意味はやはり大きくて、急に任される責任は重くなり、社会的な立場も一変します。

 

敬愛してやまないジャニーさんの「子ども」をやめることになった平野紫耀さん。

 

新たな成人式を終えたら、もうあとは自分の責任で、全部自分で選んでいくんだろうな、と思います。

ジャニーズを去ることについて、くわしい経緯や今の気持ちを直接的に教えてもらうことができない状況がつらかったのだけれど。

それを成人式のように思っているというのであれば、なんだかとても腑に落ちたし、きっとこの人は大丈夫だと思った、という話です。

 

まさか好きなアイドルの「成人式」をこれから見守ることになるとは思わなかった。

どこまでもわたしのせせこましい想定やつまらない既成概念をぶち壊す、目が離せない唯一無二の存在です。

 

いずれにせよ平野紫耀さんを、King & Princeを好きになる人生でよかった。

わたしの人生の幅は広がり続けています。

Life goes on.

(おあとがよろしいようで)

 

 

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