夢のような1日

アイドルを好きになって「夢のような1日」ってこういうことかと知りました。ツイッターやってます→@yareba_owaru

~嵐の卒論~ ②嵐の日


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時は過ぎて、2020.11.3 嵐の日。

嵐、21回目のデビュー記念日。

 

ひる12時から16時まではファンクラブ会員向けに懐かしのうだうだコンテンツなどを配信。(相葉すごろくをはじめ、往年の輝きを見せる嵐)

 

そのあとはいよいよ!

ファンからの投票による人気曲を中心としたコンサート、アラフェス@新国立競技場の映像を配信。

(①16:30~ファンクラブ向け、②19:30~ファンクラブ会員以外も購入可)

 

アラフェス本編の配信前後にも、嵐が生配信に登場して旧・国立競技場の思い出を語ったり、なぜか5人で絵しりとりをしたり。

アラフェスの開演前には充電・トイレ休憩を呼びかけてくれたり、終演後は自らの配信コンサートを見た感想を語ったりするなど、その名の通り朝から晩まで嵐と過ごす、『嵐の日』でした。

 

私にとっても本当に久々に、一日中どっぷり嵐のことを考えて、嵐と共にすごす感覚を味わえた一日となりました。

 

というのも、前述の『あの日』以降は嵐を見るのが内心しんどくて。どんな嵐に対しても「この光景を失うんだな」とか「この歌も、もう聞けなくなるんだな」とかいう思いが常につきまとってしまって、純粋に楽しめなくなっていました。

 

あんなに大好きで、身近で、生活の一部だった嵐なのに。薄目を開けてこわごわ眺めるようなスタンスしかとれなくなっていました。時々歌番組でメドレーなんか歌ってる姿を見ては、テレビの前でわんわん泣いてしまったりして。情緒はつねに不安定。

 

嵐がいなくなるという現実と、どう向き合っていいのかわからず、背を向けていたのだと思う。

 

裏を返せばそれだけ、自分にとって嵐はかけがえのない存在だったということ。

ずっと一緒に生きていくんだと思っていたから、嵐のいない世界になると言われても、はいそうですかオッケイ承知~♪とは、なかなかいかないもので。

休止発表からの日々は、少しずつ、生活の基本設定からやり直すような期間でした。

 

そこで迎えた嵐の日。

私が見たのも、やっぱりいつもの嵐で。

いつも通り、穏やかで和やかで、お互いを尊重していて。その唯一無二の関係性を、他でもない自分たちの手で大切に守っている嵐。

わたしが大好きな嵐でした。

 

嵐のコンサートって、行ったことある人はわかると思うんですけど、めちゃめちゃこちらの調子を聞かれるんですよ。

そしてこの日も配信ではあるものの、やっぱり何度も聞いてくれたんです。

『調子はどうだ?どうなんだっ?』って。

 

久しぶりのこの感じ。

調子はどうなの?とたたみかけられて、とりあえずイエーイ!なんて拳をふりあげてるうちに、不思議と元気がわいてきて。

『あ~~~~~!これだ!私の元気の源!これが足りなかったんだ~~~~!!』と、唐突に気づいたのです。 

 

『嵐は元気の源、生活の糧!』

一時期、おまじないみたいにそう呟いていたわたし。

 

社会人になって、己が何者でもないと気づかされ、理不尽な世間の荒波に打ち負けそうな時、同じようにテレビの向こうでもがいているように見えたのが、同世代の嵐でした。

 

嵐を応援するようになってからは

『嵐も頑張ってるんだから、私も頑張ろう』そう自然と思えて、力をもらっていました。

中高生の頃、ジャニーズにはぜんぜん興味がなかったのに、嵐は特別で、アイドルとファンというよりは、同じ時代を生きる同志のような存在でした。

 

嵐の日。

ひさびさに前向きな気持ちで過ごせた1日をすごして、気持ちがほどけて安心していくのを感じました。

 

そして思ったこと。

 

ぜんぶを嵐に捧げてきた5人へ
もう充分だよ。
ぜんぶをくれなくていい。
お互いに成熟しよう。
卒業しよう。
嵐に支えてもらった時間に感謝しよう。
そして、ずっと好きでいよう。

 

ということでした。

 

そして嵐とわたしたち、お互いの生活や人生にリスペクトをもってそれぞれきちんと生きるのがいい。

またいつか会えたときは、お互いに称えあって、手を振りあって、笑いたい。

 

それが私と嵐、ひいてはファンとアイドルの理想の形なんじゃないかな、と思った1日でした。

 

もちろん我らアラシック、『外野の言葉はシカトする』です。個人的な思いであります。

 

さあ、いよいよ、ラストの日までカウントダウン。

 

(続く)